昭和の30円はどれくらいの価値?
現代の価値では、30円と言ったら駄菓子が買えるぐらいの値段だ。社団法人日本映画製作者連盟の調査では大人の平均入場料が昭和30年で63円となっている。当時は、一律ではなく、映画館ごとで料金が異なったため平均となっている。また、祖母は中学生だったため、約半分の値段で見られたのだろう。
| 映画館入場料(大人の平均額) | |
|---|---|
| 昭和30年 | 63円 |
| 昭和35年 | 72円 |
| 昭和38年 | 152円 |
| 昭和39年 | 178円 |
映画館の入場料だけを見ても、「30円」が当時どの程度の価値だったのかをイメージするのは難しい。そこで、昭和30年頃の代表的な商品の価格を調べ、現在の物価と比較した。別冊宝島『昭和30年代の家計簿』(2016)によると以下の図になる。
| 昭和30年の様々な物価 | 当時(1955) | 現在(2026) |
|---|---|---|
| 白米(10kg) | 845円 | 6000〜8500円 |
| クジラ肉(100g) | 2〜8円 | 400〜800円 |
| 食パン(一斤) | 30円 | 80〜230円 |
| 自動式電気釜 | 3,200円 | 1万〜10万円 |
| ※日本平動物園入場料 | 大人50円 子供10円 | 大人620円 小・中学生150円 |
このことから、祖母が話していた「映画が30円で見られた」という記憶は、決して誇張ではなく、当時の映画料金として十分あり得るものだと分かった。また、昭和30年頃は現在よりも物価全体が低く、映画館の入場料は食パン一斤とほぼ同じ価格だったことから、映画は多くの人が気軽に楽しめる娯楽だったことがうかがえる。当時はまだテレビが十分に普及しておらず、映画は人々の暮らしに欠かせない文化の一つだったと考えられる。
では、30円で観られた映画は、当時の人々にとってどのような価値を持っていたのだろうか。その答えを探るため、昭和を知る私の母方の祖母に話を聞いた。
祖母が語る、昭和の映画館
―― 当時の映画館への思い出は覚えている?
私が初めて映画館へ行ったのは、中学生の頃だったさ。当時よく通ったのは南風座と白鳥座だね。13歳か14歳くらいだったかな。あの頃はまだどこの家にもテレビがあるわけじゃなかったもんで、映画は大事な楽しみだったさ。
南風座や白鳥座は小さめだったけど、その分料金が安くてね。私たちには気軽に行ける映画館だったよ。当時は車なんて持ってる家はほとんどなかったから、映画館までは歩いて行ったさ。よく3つ上の姉のしげちゃんと一緒に映画を観に行ったね。映画を観たあとは近くのラーメン屋へ寄って、一杯30円のラーメンを二人で半分こして食べたんだよ。あれがおいしくてねえ。それも映画と同じくらい楽しみだったねぇ。
社会人になってからは、七間町にあったオリオン座へ行くようになったよ。オリオン座はその頃じゃ一流の映画館でね、今の映画館と比べても「ずいぶん大きいなあ」って思うくらい立派だったさ。洋画をよく上映していただもんで、私は洋画が好きだったから、オリオン座へ行くのが楽しみだったねえ。
―― どんな作品が印象に残っている?
特に印象に残ってる映画は、やっぱりアラン・ドロンが出てた『太陽がいっぱい』さ。洋画が好きだっただもんで、よく映画館へ観に行ったよ。ほかにも『草原の輝き』も観たさ。あの頃はまだジェームス・ディーンもそんなに有名じゃなかったけど、端役で出ていてね。それから『紅孔雀』や『三銃士』、『ノートルダムのせむし男』なんかも観たよ。俳優さんだったら、やっぱり石原裕次郎が一番人気だったねえ。男前で豪快で、渋くてね。あんな人はいないってくらい、みんな憧れてたさ。
女優さんでは岸恵子さんが人気だったね。『君の名は』を観たときは、本当にきれいな人だなあって思ったよ。映画の中で岸恵子さんがしていたスカーフの巻き方が「真知子巻」っていってね、それがすごく流行ったんだよ。街を歩けば真知子巻をしてる人をよく見かけたさ。映画の影響って本当に大きかったねえ。(※1953年公開の大ヒット映画『君の名は』でヒロイン役として出演した際にした格好が「真知子巻」として大流行しました。真知子巻は令和の真知子巻として再流行し、現在にも影響を与えています。)
―― 情報はどのように手に入れていた?
あの頃はね、情報を手に入れるのは新聞やポスター、それから雑誌だったさ。まだテレビも今みたいに普及してなかったもんでね。私は特に『スクリーン』っていう映画雑誌をよく見てたよ。あれで俳優さんや女優さんを知ることが多くて、アラン・ドロンなんかも雑誌で見て、「なんてかっこいい人なんだろう」って思ったね。
あとね、貸本屋にもよく通ったよ。本は買うと高かったもんで、みんな借りて読んでたさ。一冊10円か20円くらいで借りられてね、映画雑誌も置いてあったから、アラン・ドロンやオードリー・ヘプバーンの記事を夢中になって読んだよ。ああいう海外のスターを見て、「映画っていいなあ」ってますます憧れるようになったさ。
それから映画館の看板も今とは全然違ったね。専門の職人さんが一枚一枚手で描いていてね、大きな看板いっぱいに俳優さんや女優さんの絵が描かれていたんだよ。本当に迫力があって、「今日はどんな映画なんだろう」って、看板を見るのも映画館へ行く楽しみの一つだったさ。
―― おばあちゃんにとって映画ってどんな存在だった?
最近の映画も観たけどね、私にはあんまり印象に残らなかったねぇ。もちろん今の映画も映像はきれいだけど、やっぱり昔の映画の方が心に残るねえ。洋画はスケールも大きくて、観終わったあともしばらく映画のことばかり考えていたもんだよ。
昔は映画そのものだけじゃなくて、映画館まで歩いて行ったことや、姉とラーメンを半分こして食べたこと、帰り道に「あの場面がよかったね」なんて話したことまで全部ひっくるめて映画の思い出なんださ。だから今でもあの頃の映画は忘れられないねえ。
30円から見えてきた、本当の価値
祖母の若いころの話をじっくり聞いたのは今回が初めてだった。とても貴重な体験であった。祖母の思い出を聞くうちに印象に残ったのは、30円という金額だけではなかった。
映画館まで姉と歩いたこと、映画を観た後に30円のラーメンを半分ずつ食べたこと、貸本屋で映画雑誌を読み、海外スターに憧れたこと。祖母にとって映画は、作品を観るだけでなく、人との時間や街の風景、日常の楽しみが詰まった大切な存在だった。
現在は自宅で気軽に映画を観られる時代になった。一方で、昭和の映画館には、その場所でしか味わえない特別な体験があり、映画は人々の暮らしを彩る文化そのものだったのではないだろうか。
30円という一つの疑問から始まった今回のインタビューだったが、お金の価値だけでなく、時代とともに変化した映画の楽しみ方や、人々にとっての映画の存在価値を知ることができた。金額では測れない思い出こそが、祖母の記憶に今も鮮明に残り続けているのだと感じた。
取材協力・参考文献
・武田晴人監修『昭和30年代の家計簿』別冊宝島2492号、2016
・社団法人日本映画製作者連盟 入場料調査データ